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田籾川沿岸の五輪塔1

富山県黒部の田籾川流域では、石仏や石塔をよく見かけます。
ちゃんと御堂があるものも沢山あって、魚津から石田の山際は、石仏文化が凄いんだな、と思います。




これは少しパーツが多くあるみたいですが、最近気になる五輪塔です。形がね、古い形式なんですよね。
五輪塔は各パーツにわかれていて、乗っかっているだけなので崩れたり、入れ替えられたりすることがあります。パーツは上から「空」「風」「火」「水」「地」といい、輪をつけて空輪などと呼んでいます。
この五輪塔は、一番下の地が二つあるようです。よくあるんですが、他の場所から運ばれてきた際に、組み合わせ方がわからなくなってしまい、取り違えたり順番が逆になっていたりするものを見かけます。これは地が二つだから、もう一つ五輪塔があったのかもしれません。
それとも一番下は台石なんでしょうかね?

さて、田籾川流域は石仏が多いと書きましたが、実は五輪塔は少ないです。きちんと数えたことはないですが、街道沿いには、あまり見かけない印象でした。
だから、こんなのを見かけたら、思わず足を止めちゃいますね。



実はここ、数年前にたまたま通りすがりに見かけました。その時は雪に覆われていたので周囲がよくわかりませんでしたが、今は草刈りもされて、しっかり守られているのがわかります。
良かったなあと安心しました。

山の絵


スケッチした記念。
[ 2017/06/13 ] 雑記 | TB(0) | CM(0)

中世山城案内


昨日は京都の博物館から来られた義仲研究者さんの案内で、宮崎城におりました。
宮崎城は越中中世山城で、築城は平安末期?と伝えられています。
ただ、現在の遺構は、山城研究者の佐伯哲也さんによりますと、16世紀に改変されたものだろうとのこと。
上杉家の特徴が残る山城だそうです。

資料作ろうと思い、佐伯先生の遺構図に加筆。
といっても、佐伯先生から聞いたことを書くだけ。山城、不得手なので…。
しかし、遺構図を見ているだけではわからないのが立地。
宮崎城は越中と越後の境に立地し、背後は北アルプスの天然の擁壁、前面は日本海。
そして見晴らしもよく、石川県の境にある倶利伽羅山からもその姿が確認出来てしまいます。
なんてパーフェクトなんでしょう。
…そんなウンチクいらないくらい、登ったら気持ちのいい山です。
これからの季節、ぜひ!
[ 2017/06/13 ] 木曽義仲シリーズ | TB(0) | CM(0)

A mark for..?

[ 2017/05/05 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

A stone Buddha in Japan.


A stone Buddha inside.

オイボの食べ方

今日、博物館で来館者と話していたら、
昔のオイボの食べ方を教わって、
へえ~~、と思ったのでご紹介します。



まず、これがオイボ。
漁期は6月から。
高級魚なので地元ではあまり食べられなかったそうです。
その方によると、昔は骨が各家に配られて、
それで出汁をとって塩で味付けし、
ちょうどじゃがいもの季節(新じゃが?)だからスライスしたじゃがいもを出汁に入れてスープにしていた、とのこと。

今ではあまり知られていない料理だと思いますが、
地元の宮崎ではやるんでしょうか?
要調査です。


※オイボとは富山県朝日町の言葉で、イシナギという魚をこう呼びます。
普段は400mから600mの深海にいるのですが、
産卵の時期になると150mくらいの岩礁にやってくるらしく、
その時に釣ります。
朝日町にはオイボの産卵に適した岩礁があるらしく、
昔からオイボ漁が行われています。
オイボは大きくなると2mにもなるんだそうです。
なかなか釣れないので、幻の魚と呼ばれます。


以前書いたオイボの記事↓
オイボ漁

この時はオイボを釣った方が鹿嶋神社でお礼しているのに出会い、
オイボに出会えたのでした。
なんだかハッとする出来事でした。

[ 2017/04/07 ] 歴史 | TB(0) | CM(0)

中世山城、宮崎城攻め

朝日町の城山には、平安時代の宮崎太郎が築城し、後に上杉家によって改造(というのか?)されたという山城があります。
毎年4月の後半に、この山城がある城山の山開きなんですが、今年はそれに合わせ、山城歩きを企画しています。(参加希望者は朝日町役場商工観光課まで)
先生は、前から気持ちを温めてきて実現した、城郭研究家の佐伯哲也先生。先日、下見を行い、伝え聞いていた佐伯節を浴びてまいりました。
さて、下見は朝9時からスタート!

トイレによって分断されてしまった堀

左上、おそらく矢倉跡。
ちょっとせり出しているのが、道をつけた時に掘削してしまった跡。

かつてあった12本の畝状の堀が、いまは2本しか確認できないよ、と説明くださる先生。

唯一、ちゃんと確認できる石塁。
これがなぜこの位置に?どういう用途?こっちを警戒している訳は?
など、疑問が解けたり、仮定が確認されたり、さらに疑問が膨らんだりしました。

堀で分断されている上ノ山との間を繋ぐ橋(現代)
支城ではなかったのね~。

4月29日の参加枠はまだ残っています。
宮崎城は、大正15年の地図ではかなり戦国時代の遺構が残されていたことがわかるのですが、昭和の公園化によって見えている場所の遺構は破壊されまくっています。なので、当時の面影は斜面を下って見つけるしかありません。
そんな場所に行ける、しかも城郭研究者と共に。ってなかなかない機会なので、是非みなさんにみて欲しい。
ですが、危ない斜面もいきますので、足腰に自信がある方だけですよ。安全のためにも定員を設けています。
詳しくは朝日町役場商工観光課へお問い合わせ下さい。
ツアーの下見でしたが、今後の整備に活かせる、いい山歩きでした。
[ 2017/04/06 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)