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不動堂遺跡



巨大な竪穴式住居、復元。


とても美しい山が背景に見えます。
ずっと以前はこの周辺に湿原があり、動植物が豊富だったことが想像できます。


陰る日の中で、ゆっくりここに立っているのが好きです。

不動堂遺跡、保存の軌跡vol.6---それぞれの価値

これまでのお話
vol.1--発掘開始
vol.2--復元可能な土器片がたくさん
vol.3--全国最大の竪穴式住居発見
vol.4--翡翠の石器「玉斧(ぎょくふ)」
vol.5---保存に向けて
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不動堂


昭和48年6月。
富山県朝日町の不動堂遺跡では、
縄文時代としては全国最大の、竪穴式住居跡が発掘されました。

遺跡の規模は、文化庁のお墨付き。
出土する遺物も、たくさん。
そこで、調査期間を20日間延長しての調査が決まります。

ところが、

もともと、この調査は、ほ場整備によって遺跡が壊される前の
緊急発掘調査でした。
現場の休耕田では、すでにほ場整備工事の入札日も決まっており、
入札決定後、すぐに工事が始まる予定でした。

調査期間の延長を受け、町では、
とりあえず遺跡にかかる工事区の入札はとりやめたものの、
周辺では、ほ場整備の遅れを気遣う声も聞かれ始めます。

それに対して、
遺跡の調査を担当した、文化庁の技官たちは、
約九千平方メートルを保存したい、という意向を示します。

生活か?文化財か?
遺跡をめぐる、保護、反対。
両者の声が、大きくなっていきます。

-----------------つづく




不動堂遺跡、保存の軌跡vol.5---保存へ向けて

これまでのお話
vol.1--発掘開始
vol.2--復元可能な土器片がたくさん
vol.3--全国最大の竪穴式住居発見
vol.4--翡翠の石器「玉斧(ぎょくふ)」

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DSCF1739b.jpg

富山県朝日町にある「不動堂遺跡」
ここは、初めて本格的な調査がされた昭和48年6月当時、
全国最大規模の縄文遺跡の住居跡でした。

これを受けて、6月21日、文化技官が不動堂遺跡を現地調査します。
そして、この調査について、8紙の新聞社が記事にしています。
朝日、読売、日経、産経、毎日、北日本、富山、北陸中日。


住居跡の規模の説明をしましょう。

短径8m、長径16mの長円形
直径約1mの柱穴が11カ所にある
中央部に、直径40cmの円形の炉跡が2つ
縦40cm・横50cmの長方形の炉跡が2つ
計4つの炉跡は、直線に並んでいる

4つの炉跡が直線に並んでいるって、珍しいですね。


さて、文化庁技官の調査での驚きのコメントを引用しましょう。
6月22日の富山新聞から
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技官:
「単位家族の住居跡は、
大きくとも14,5畳敷きとされ、
これまでは、青森県の縄文後期の
大森勝山遺跡の住居跡(直径11m)が大きいほうだったが、
今度の住居跡は65畳敷きくらいもあるのに驚いた。
単なる複数家族の住居跡でなく、
煮たき以外の土器の出土や周囲に小さい住居跡が5、6個見つかっており、
集落の儀式を行った聖なる言えではないかと推定される。」

「また、11本の柱穴から見て、
直径30cmの柱を自由に使った堂々たる建物であったことが考えられ、
伊勢神宮や出雲大社のような大建築物の下地が、
縄文時代からあったのではないか、建築学的にも、興味がある。

今後、聖所を取り巻く集落の形態や、
約4500年前の生活様式を解明するためにも、
さらに詳しい調査をするべきだ。」

なお、地元の大家庄土地改良区は、
25日に着手を予定していたほ場整備工事を当分延期することにしている。

---------------------------------引用終わり

不動堂遺跡は、
それまで16畳くらいの大きさが最大と言われていた時代に
65畳の規模で現れたのです。
いきなり4倍の広さですから、驚きますよね。

この発見を受けて、6月25日から取り掛かる予定だったほ場工事は、
期間を定めず、延期することとなりました。


さて、これからどうなるんでしょう。

------------------------続く

不動堂遺跡、保存の軌跡vol.4---翡翠の石器「玉斧(ぎょくふ)」

これまでのお話
vol.1--発掘開始
vol.2--復元可能な土器片がたくさん
vol.3--全国最大の竪穴式住居発見
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DSCF2816480.jpg

磨製石器。だけど、翡翠製。
珍しい「玉斧(ぎょくふ)」です。

きれい。


この翡翠は、朝日町のお隣の町にあります。
入善町の町民会館の2階に展示されています。
無料で見ることができるんです。


先日の縄文時代の顔もそうなのですが、
このコレクションは、中村さんというお寺の住職さんが集めたものです。

中村さんの叔父様は、富山県の考古学会の創設者である早川さん。
早川さんの影響を受けて、中村さんは小学生のころから、考古学に興味があったそうです。

中村さんは、不動堂遺跡が本格的に発掘される前から、
よく朝日町に来て、採取に励んでいました。
私の知り合いが話していましたが、
「うちの田んぼとか畑でも、よく探してたよ。」ですって。

昭和16年、中村さんは、
「黒東地区考古博物館建設」の建白書を県に提出しています。
不動堂遺跡発掘の、22年前です。

中村さんが亡くなった後、その遺物は、遺族の方が入善町に寄付しました。
その一部が、入善町民会館に展示されているというわけです。

残りの膨大な遺物は、別の場所に保存されているようです。
でも、個人のコレクションだから、採取した時の情報なども完全ではなく、
きっと、どういう素性かわからないものもたくさんあるのでしょうね。
文化財の価値を保護するって、簡単なことじゃないんです。





不動堂遺跡、保存の軌跡vol.3---全国最大の竪穴式住居発見

これまでのお話
vol.1--発掘開始
vol.2--復元可能な土器片がたくさん
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DSCF1736b.jpg

4月13日から始まった、富山県朝日町の「不動堂遺跡」発掘調査。
開始早々から、程度のよい土器や翡翠など、嬉しい発見が続きました。

そして、ついに、驚きのモノが発掘されました。
それは、巨大な住居跡でした。

昭和48年6月15日の朝日新聞を引用してみましょう。
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富山県下新川郡朝日町の不動堂遺跡から、
70平方メートルの、長円型の縄文中期前葉の住居跡が見つかった。

これまでの
「縄文中期住居跡は、4、5人が住む直径6-7m程度の円型」
という常識を破った大きなもので、
富山県教育委員会は、14日、永久保存する方針を打ち出した・・・

(中略)

発見された住居跡は、地下約40cmのところに埋まっていた。
長径約10m、短径約7mで、長径の中心線に沿い、直径40cmの円型と
一辺50cmの角型の石組の炉が二つずつ、計4つ並んでいた。

深さ訳1.2m、直径約60cmの柱穴11個に囲まれ
出土した土器から、縄文中期前葉と判断された。

-------------------------引用終わり

6月22日の新聞より

21日、文化庁記念物課小林達雄技官が現地調査した。
その結果
「縄文中期の住居跡としては全国最大」
であることが確認され(た)

-------------------------引用終わり

【ポイント解説】

「発見された住居跡は、地下約40cmのところに埋まっていた」

浅いですね。
このあたりは昔から、手が入った土地でしたし、
地表で土器片が拾える土地でした。
もっと後の時代の遺構も、もしかしたらあったのかもしれませんね。



不動堂遺跡の住居跡は、巨大でした。
それも、これまで発見された縄文時代中期のものとしては、全国最大。
全国一番ってことです。すごいですね。

これをうけて、関係者は、ほ場整備計画から一転、保存に向けて動きだします。
しかし、当然、そんなに簡単なものではなく・・・。

-------------続く


不動堂遺跡、保存の軌跡vol.2------復元可能な土器片がたくさん

不動堂遺跡、保存の軌跡vol.1
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DSC00229s.jpg

昭和48年4月13日。
富山県朝日町の不動堂、横水地区にまたがる不動堂遺跡(ふどうどういせき)は
初めての発掘調査が開始されました。

ここは、もともと田んぼなどから変わったものが出てくるので、
遺跡があるんだろう、と、いわれていた地区です。

想像通り、着手早々、住居跡をはじめ、復元可能な土器が豊富に出土し、
関係者を喜ばせることになりました。
当時の新聞記事を見てみましょう。

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県教委は、朝日町不動堂遺跡の発掘調査を進めているが
着手早々から住居跡はじめ、復元可能な深鉢や浅鉢などの土器が
豊富に出土し、関係者を喜ばせている。

(略)

不動堂は、これまでに調査を終えた下山新と同じ大家庄地区にあって、
2キロあまり東側にある。
発掘調査は7月までの予定で、不動堂と横水地内にまたがる
一万平方メートルの水田地帯で進められているが、
すでに五カ所で住居跡が確認され、
その一つは、深さ40センチの地中から綺麗な形で現れ、
直径約5メートルの長円形の住居跡からは、
炉跡や、完全に復元可能の深鉢、浅鉢7個を合わせ
10個の土器が出土、また、翡翠のカケラなどが見つかっている。

----------------------------------(引用終わり)
【ポイント解説】

「不動堂は、--下山新と同じ大家庄地区にあって」

 昔は、大家庄村(おおえのしょうむら)という大きな村があり、
その中に、不動堂(ふどうどう)も下山新(にざやましん)も、
横水(よこみず)も入っていて、ある時期に、統一されたのです。
井口城(いぐちじょう)のあった井口(いのくち)も、大家庄地区です。
今でも、それらの地名は残っています。
大家庄は、とても古くからの歴史があって、
もっと細かく説明すると、それもシリーズになっちゃいます。
いつか、ご紹介出来る時がくるでしょう。


遺跡が、「深さ40センチの地中から現れ」

浅いですよね。これには、理由があります。
大家庄地区には、昔、とてもしっかりと農業を勉強した方がいて、
とても苦労して耕地整理を行ったのです。
自分の家を移動してまで耕地整理を進めたので、
村の人達も協力しました。
これは、私の祖父が生まれる前の時代のお話。

そのせいかどうか、わかりませんが、
大家庄地区の田んぼは、きちんと田直しが行われているので、
古い地層までの、地表からの距離が近いのです。
田んぼを掘ると、すぐに土器が出てきたり、
地表に土器が落ちていることすらあったのは、このためです。



「完全に修復可能な深鉢、浅鉢」

これです、じゃじゃーん!!
DSCF2240480.jpg

--------------------------------続く



不動堂遺跡、保存の軌跡vol.1---発掘開始

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【不動堂遺跡・富山県朝日町】


朝日町にある遺跡、不動堂遺跡。
ここは、縄文時代中期の遺跡です。
現在、この場所は保護され、写真のような立派な竪穴式住居が復元されています。

ここを訪れると、遺跡は、背景の山や周囲の田園の中で
すがすがしい存在感をはなっています。

ですが、実は不動堂遺跡がこのように保護され、存在している影には
様々な方の苦労がありました。

不動堂遺跡保護の、紆余曲折。
文化財保護って、大変なんです。


昭和48年4月13日。不動堂遺跡の発掘はスタートしました。
4月14日の、朝日新聞の記事を引用してみましょう。

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県教委(富山県の教育委員会)は、
13日、下新川郡朝日町教育委の協力で、
同町不動堂、横水両地区にまたがった不動堂遺跡の発掘調査を始めた。

付近では、古くから土器や石器の破片が見つかり、
縄文中期の遺跡があるとみられていたが、
今年から土地改良事業が進められるため、
去年8月に発掘をはじめた下山新(にざやましん)の下山新遺跡と同様に調査することになった。

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不動堂遺跡の周辺は、昔から、田んぼや畑の中から
変わった形の石や土器が出るので有名でした。
「あのあたりには、きっと何かあったに違いない」
地元の人達は、みんな思っていましたが、
それでも、発掘というのは、なかなかそういう理由では始まらないものなのです。

不動堂遺跡の発掘も、ほ場整備の対象となったことから、
破壊されてしまう前に発掘しよう、という契機でした。

こうして、昭和48年4月13日。
初めて不動堂遺跡が発掘調査されることになったのです。


--------------------------------続く